[コラム]なぜ宇宙に生命を探すのか
- 2015/04/04
- 06:04
東京都三鷹市にある国立天文台の広大な敷地内には、大正時代に建てられた歴史的な観測用の建物があり、さらに江戸時代末から明治時代初期に使用されていた貴重な観測装置や文献が保存され一般に公開されている。この時代の天文観測は暦を作成することを主な目的として、手動の装置で地道な観測が続けられた時代であった。
それから150年が経過した現在、天体観測はコンピュータをはじめとするテクノロジーの発展に伴い急速に様変わりした。国立天文台ハワイ観測所のすばる望遠鏡に代表される大型の光学望遠鏡、チリの高地に60台以上の電波望遠鏡を配置したアルマ、宇宙に浮かぶハッブル望遠鏡をはじめ、宇宙マイクロ波背景放射観測衛星、ニュートリノ観測施設等が稼働している。さらに、500枚に及ぶレンズを蜂の巣状に組み合わせた30メートル級の光学望遠鏡(TMT)の建設が進められている。また、太陽系の惑星、小惑星、彗星に直接降り立ち観測するさまざまな無人探査機が活躍している。そして現在、天体観測の目的は、我々の宇宙がどのように成り立っているのかを調べることであり、さらには、宇宙には我が地球以外にも生命が存在するのか、ということにも焦点を当ててきている。
さて、宇宙に生命を探すときの対象は、太陽系内と太陽系外とがある。太陽系内については、惑星、惑星の衛星、小惑星等がある。特に木星の衛星エウロパや土星の衛星エンケラドスは氷で覆われた表面の下に海が存在する可能性があり、生命発見の期待が寄せられている。一方、太陽系外については、恒星の観測から惑星の存在を裏付ける証拠が出てきているという。つまり、惑星が影響する恒星の変動、恒星を横切る惑星による見かけの明るさの変化などの観測である。さらには、恒星を廻る惑星を直接観測して、生物により生み出されるであろう元素(地球で光合成により酸素が増えたように)を調べることも試みられている。これまでに千を超える太陽系外惑星の発見が報告されているという。現時点では、太陽系内でも太陽系外でも地球外生命の証拠は明らかになっていないが、観測はこれからますます活発になるので期待が持てる。
ところで、なぜ我々人類は、宇宙に生命を探すのであろうか?
この答えは、実際に天体の観測や調査に携わる研究者一人ひとり、またその成果を享受する我々一般市民一人ひとりで異なるであろう。私は一般市民の一人として次のように考える。138億年前に我々の宇宙が誕生し、星が生まれ銀河が形成されてきた。46億年前に我が銀河系の片隅に太陽系が形成され地球が生まれた。40億年ほど前に地球上に最初の生命が誕生した。生命は地球環境とともに進化し、地球は現在3千万種ともいわれる多様な生命に満ちている。
私には、この宇宙と地球の物語はとても美しく感じられる。それと同時に、この時間的にも空間的にも無限ともいえる宇宙の中で、地球だけが特別な存在であるとは思えない。恒星(太陽)からほどよい距離にあるなどの条件を満たした惑星や衛星には、必然的に生命が生まれるのではあるまいか。たとえば近い将来、木星の衛星エウロパの氷の下の海の中で、顕微鏡でしか見えない細菌のような生命が発見されたと想像しよう。そして、この生命を世界中の研究者が新たな視点で研究し、地球上の生命と比較して深く考察する。研究が積み重なった暁には、「生命はどうやって生まれたのか」「生命とは何か」という問いに納得のいく答えが得られるようになるのではあるまいか。そのときこそ、宇宙138億年の物語の第1章が完結するように思えるのである。
日本はいま桜の季節である。数億光年先にある銀河の中に地球に似た環境を持つ星があって、そこに住む知的生命体が他の生命体の美しさを愛でている姿を想像すると、思わず笑みが浮かんでくるのである。 (記:五等星)
それから150年が経過した現在、天体観測はコンピュータをはじめとするテクノロジーの発展に伴い急速に様変わりした。国立天文台ハワイ観測所のすばる望遠鏡に代表される大型の光学望遠鏡、チリの高地に60台以上の電波望遠鏡を配置したアルマ、宇宙に浮かぶハッブル望遠鏡をはじめ、宇宙マイクロ波背景放射観測衛星、ニュートリノ観測施設等が稼働している。さらに、500枚に及ぶレンズを蜂の巣状に組み合わせた30メートル級の光学望遠鏡(TMT)の建設が進められている。また、太陽系の惑星、小惑星、彗星に直接降り立ち観測するさまざまな無人探査機が活躍している。そして現在、天体観測の目的は、我々の宇宙がどのように成り立っているのかを調べることであり、さらには、宇宙には我が地球以外にも生命が存在するのか、ということにも焦点を当ててきている。
さて、宇宙に生命を探すときの対象は、太陽系内と太陽系外とがある。太陽系内については、惑星、惑星の衛星、小惑星等がある。特に木星の衛星エウロパや土星の衛星エンケラドスは氷で覆われた表面の下に海が存在する可能性があり、生命発見の期待が寄せられている。一方、太陽系外については、恒星の観測から惑星の存在を裏付ける証拠が出てきているという。つまり、惑星が影響する恒星の変動、恒星を横切る惑星による見かけの明るさの変化などの観測である。さらには、恒星を廻る惑星を直接観測して、生物により生み出されるであろう元素(地球で光合成により酸素が増えたように)を調べることも試みられている。これまでに千を超える太陽系外惑星の発見が報告されているという。現時点では、太陽系内でも太陽系外でも地球外生命の証拠は明らかになっていないが、観測はこれからますます活発になるので期待が持てる。
ところで、なぜ我々人類は、宇宙に生命を探すのであろうか?
この答えは、実際に天体の観測や調査に携わる研究者一人ひとり、またその成果を享受する我々一般市民一人ひとりで異なるであろう。私は一般市民の一人として次のように考える。138億年前に我々の宇宙が誕生し、星が生まれ銀河が形成されてきた。46億年前に我が銀河系の片隅に太陽系が形成され地球が生まれた。40億年ほど前に地球上に最初の生命が誕生した。生命は地球環境とともに進化し、地球は現在3千万種ともいわれる多様な生命に満ちている。
私には、この宇宙と地球の物語はとても美しく感じられる。それと同時に、この時間的にも空間的にも無限ともいえる宇宙の中で、地球だけが特別な存在であるとは思えない。恒星(太陽)からほどよい距離にあるなどの条件を満たした惑星や衛星には、必然的に生命が生まれるのではあるまいか。たとえば近い将来、木星の衛星エウロパの氷の下の海の中で、顕微鏡でしか見えない細菌のような生命が発見されたと想像しよう。そして、この生命を世界中の研究者が新たな視点で研究し、地球上の生命と比較して深く考察する。研究が積み重なった暁には、「生命はどうやって生まれたのか」「生命とは何か」という問いに納得のいく答えが得られるようになるのではあるまいか。そのときこそ、宇宙138億年の物語の第1章が完結するように思えるのである。
日本はいま桜の季節である。数億光年先にある銀河の中に地球に似た環境を持つ星があって、そこに住む知的生命体が他の生命体の美しさを愛でている姿を想像すると、思わず笑みが浮かんでくるのである。 (記:五等星)
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