[コラム]人間は「管」である
- 2014/11/17
- 19:20
生物は「管」である、という見方がある。生物はその中心に1本の管を持ち、管の端である口から食べ物を取り入れ、管の中で消化・吸収し、管の端から排泄する。しかし、外部環境から取り入れるものには、ときとして生物に害を与えるものがある。そのため、この管には免疫機能が備わっている。人間でいえば小腸が免疫機能の中心である。
この免疫システムは実に精妙なものである。自己と他を区別し、たとえば病原菌には強く反応して排除する。一方、食べ物にはやさしく働く。また腸内細菌に配慮して共存共栄を図っている。この「管」は、常に環境を意識して働いているのである。
ところで、我々は「我考える、ゆえに我あり」などといい、人間存在の中心は「脳(意識)」であると思っている。しかし、生存にもっとも必要な食べ物の摂取の観点では、脳が意識するのは、せいぜい食べ物が腐っていないかを目や鼻や舌で感じるだけである。食べ物の良し悪しの判断の大半は腸に依っている。この意味でも人間は「管」であるといえる。
さて、アフリカの森林や草原で暮らしていた頃と比べて、人間は大きくなった脳を使い、農作や牧畜を始め、地球を掘り起こして大量の工業製品を作り出し、地球上を埋め尽くした。そして、我々のご先祖さまが暮らしていた森林や草原は実にせまくなり、人間の生活環境は大きく変化した。
確かに我々は「脳」のおかげで、便利な人工物に囲まれた清潔な場所で暮らすようになり寿命も延びた。しかし一方で我々の体の中心にある「管」は、環境の激変についていこうとして四苦八苦している。環境変化についていけず、ときには免疫システムがバランスをくずして、食物アレルギーを引き起こすケースが増えてきた。
生物が生きていくためには、環境と調和していくことが必須であり、人間もまた然りである。しかし、人間の「脳」は、環境に対して実に鈍感である。一方、環境に対してもっとも敏感なのは「管」の方である。今こそ「人間は「管」である」と考えるときかも知れない。 (記:五等星)
この免疫システムは実に精妙なものである。自己と他を区別し、たとえば病原菌には強く反応して排除する。一方、食べ物にはやさしく働く。また腸内細菌に配慮して共存共栄を図っている。この「管」は、常に環境を意識して働いているのである。
ところで、我々は「我考える、ゆえに我あり」などといい、人間存在の中心は「脳(意識)」であると思っている。しかし、生存にもっとも必要な食べ物の摂取の観点では、脳が意識するのは、せいぜい食べ物が腐っていないかを目や鼻や舌で感じるだけである。食べ物の良し悪しの判断の大半は腸に依っている。この意味でも人間は「管」であるといえる。
さて、アフリカの森林や草原で暮らしていた頃と比べて、人間は大きくなった脳を使い、農作や牧畜を始め、地球を掘り起こして大量の工業製品を作り出し、地球上を埋め尽くした。そして、我々のご先祖さまが暮らしていた森林や草原は実にせまくなり、人間の生活環境は大きく変化した。
確かに我々は「脳」のおかげで、便利な人工物に囲まれた清潔な場所で暮らすようになり寿命も延びた。しかし一方で我々の体の中心にある「管」は、環境の激変についていこうとして四苦八苦している。環境変化についていけず、ときには免疫システムがバランスをくずして、食物アレルギーを引き起こすケースが増えてきた。
生物が生きていくためには、環境と調和していくことが必須であり、人間もまた然りである。しかし、人間の「脳」は、環境に対して実に鈍感である。一方、環境に対してもっとも敏感なのは「管」の方である。今こそ「人間は「管」である」と考えるときかも知れない。 (記:五等星)
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