[コラム]証拠写真
- 2019/10/09
- 15:43
「地球は丸い」ということを人類が知ったのはいつの頃からだろうか?1632年に刊行されたガリレオ・ガリレイの著作「天文対話」(日本語版は岩波文庫)に登場する人物は、地球が丸いことを船が近づく時にマストの先端から徐々に姿を現すことで説明している。ずっと遡ると、紀元前3世紀に活躍したエラトステネスに辿り着く。彼は2つの離れた場所で同日の同時刻に太陽が作る影の角度が異なることから、地球の大きさを初めて測った人物として知られている。2点間の距離から地球の大きさを推定するには、前提として(当時は天動説の中で)地球が丸いということを確信していたのであろう。そしてヨーロッパではガリレイが生きた時代の頃から大航海時代に入り、16世紀にはマゼラン隊がまさに地球を一周する航海を果たした。こうした状況証拠を重ねて、地球は丸いという考えはヨーロッパの人々の間に広まったであろう。しかし、実際に丸い地球をその目で見た人は誰もいなかった。人類が初めて丸い地球を見るのには、エラトステネスの時代から数えても2千年以上の歳月が必要だったのである。
1968年12月、宇宙飛行士3人が乗った宇宙船アポロ8号が、月を周回しながら、月から登る丸い地球の姿を写真に捉えたのである。この写真はすぐに全世界に向けて公開された。中学生だった私はテレビと新聞でその写真を見たことを覚えている。1961年にガガーリンが初めて有人で地球周回軌道に乗り、帰還してから語った「地球は青かった」という有名な言葉が広まっていた。私がアポロの写真を見たときは、地球は確かに青かったが、それに劣らず雲の白さが印象的であった。そして、太陽に照らされて宇宙空間にぽつりと浮かぶ地球は孤独のようであったが、手前に写る月の表面との対比もあり、宇宙の暗闇の中でとてもみずみずしく感じられた。今あらためてこの時の画像を見ても同じ感慨がわいてくる。ただし、当時「やっぱり地球は丸かったのだ」とは感じなかったように思う。地球が丸いということは、直接の写真を見なくても地球儀を見慣れた少年にとっては当たり前のことだったのだろう。
翻って、ブラックホールの存在を人々はいつ頃知り、どれほど信じていただろうか?17世紀後半にニュートンが万有引力の法則を発見すると18世紀にはこれを用いて、ミッチェルやラプラスといった人達が、光でさえその表面から脱出できないほどの強い重力を持つ天体について考察した。そして、このような目に見えない天体が理論上は存在できることを示した。それから100年以上経った1915年にアインシュタインが一般相対性理論を発表し、同年にシュヴァルツシルトがその解のひとつを発見した。これにより事象の地平面を境に光さえ脱出できないというブラックホール(この命名は1960年代という)が存在することが示された。ただし、アインシュタイン自身はシュヴァルツシルトの業績を讃えながらも、ブラックホールが実在するとは思っていなかったと伝えられている。その後、チャンドラセカールらによる星の重力崩壊の理論が進展し、さらにホーキングらによるブラックホールの性質の研究が進んだ。
一方、天文観測においては、1971年にX線観測衛星により、白鳥座X1という強力なX線源が発見されてブラックホールの可能性が現実味を帯びてきた。さらに宇宙ジェットを生じる活動銀河の観測などから、ブラックホールの間接的証拠が積み上げられてきた。そして、2015年9月に人類史上初の重力波が検出されて、その重力波の発信源として太陽質量のそれぞれ30倍程度のブラックホール連星の合体が同定されたのであった。ついにブラックホールは重力波によりその存在の直接的証拠を示したのである。私もサイエンスカフェで、観測された重力波の波形やそれを音に変換したものを聴く機会を持つことができた。ただし、それでブラックホールの存在を実感できたかとなると正直心もとない。しかし、ブラックホールは確かに存在するのだ、という思いは強くなった。
そして、とうとう2019年4月10日、史上初のブラックホール撮影成功の世界同時発表が行われたのである。18世紀の科学者達の理論的予測から200年余り、アインシュタインの一般相対性理論から100年余りの末に得られた証拠写真であった丸い地球の証拠写真に比べると異例の速さといえるかも知れない。撮影したのは、イベント・ホライズン・テレスコープという地球各地の電波望遠鏡を活用した国際プロジェクトである。これは地球規模の電波望遠鏡を形成し、200人に及ぶ研究者達が綿密な計画のもとに挑んだ撮影であった。撮影対象は、地球から5500万光年の距離にある、おとめ座銀河団に属する楕円銀河M87の中心に位置する太陽質量の65億倍という巨大ブラックホールであった。私はこの撮影画像を見た時、まったく違和感がなかった。それは、頭の中で描いていたイメージと違わなかったからであろう。そこにはまさにブラックホールらしい姿があった。それはブラックホールを取り囲む放射のきらめきの中に黒々と存在していた。ブラックホール自身は見えない天体なので、実際にはその影を撮ったということになる。しかし、月から撮影した地球のものと同価値の証拠写真だと言っていいと思う。地球の写真はそのみずみずしさに感動した。これに対してブラックホールの写真は、この宇宙を支配する物理法則の存在の確かさと人智の及ばない宇宙の様相を感じさせる。これからは夜空を見上げるたびに、星々の奥底に潜むブラックホールを感じないわけにはいかない。 (記:五等星)
1968年12月、宇宙飛行士3人が乗った宇宙船アポロ8号が、月を周回しながら、月から登る丸い地球の姿を写真に捉えたのである。この写真はすぐに全世界に向けて公開された。中学生だった私はテレビと新聞でその写真を見たことを覚えている。1961年にガガーリンが初めて有人で地球周回軌道に乗り、帰還してから語った「地球は青かった」という有名な言葉が広まっていた。私がアポロの写真を見たときは、地球は確かに青かったが、それに劣らず雲の白さが印象的であった。そして、太陽に照らされて宇宙空間にぽつりと浮かぶ地球は孤独のようであったが、手前に写る月の表面との対比もあり、宇宙の暗闇の中でとてもみずみずしく感じられた。今あらためてこの時の画像を見ても同じ感慨がわいてくる。ただし、当時「やっぱり地球は丸かったのだ」とは感じなかったように思う。地球が丸いということは、直接の写真を見なくても地球儀を見慣れた少年にとっては当たり前のことだったのだろう。
翻って、ブラックホールの存在を人々はいつ頃知り、どれほど信じていただろうか?17世紀後半にニュートンが万有引力の法則を発見すると18世紀にはこれを用いて、ミッチェルやラプラスといった人達が、光でさえその表面から脱出できないほどの強い重力を持つ天体について考察した。そして、このような目に見えない天体が理論上は存在できることを示した。それから100年以上経った1915年にアインシュタインが一般相対性理論を発表し、同年にシュヴァルツシルトがその解のひとつを発見した。これにより事象の地平面を境に光さえ脱出できないというブラックホール(この命名は1960年代という)が存在することが示された。ただし、アインシュタイン自身はシュヴァルツシルトの業績を讃えながらも、ブラックホールが実在するとは思っていなかったと伝えられている。その後、チャンドラセカールらによる星の重力崩壊の理論が進展し、さらにホーキングらによるブラックホールの性質の研究が進んだ。
一方、天文観測においては、1971年にX線観測衛星により、白鳥座X1という強力なX線源が発見されてブラックホールの可能性が現実味を帯びてきた。さらに宇宙ジェットを生じる活動銀河の観測などから、ブラックホールの間接的証拠が積み上げられてきた。そして、2015年9月に人類史上初の重力波が検出されて、その重力波の発信源として太陽質量のそれぞれ30倍程度のブラックホール連星の合体が同定されたのであった。ついにブラックホールは重力波によりその存在の直接的証拠を示したのである。私もサイエンスカフェで、観測された重力波の波形やそれを音に変換したものを聴く機会を持つことができた。ただし、それでブラックホールの存在を実感できたかとなると正直心もとない。しかし、ブラックホールは確かに存在するのだ、という思いは強くなった。
そして、とうとう2019年4月10日、史上初のブラックホール撮影成功の世界同時発表が行われたのである。18世紀の科学者達の理論的予測から200年余り、アインシュタインの一般相対性理論から100年余りの末に得られた証拠写真であった丸い地球の証拠写真に比べると異例の速さといえるかも知れない。撮影したのは、イベント・ホライズン・テレスコープという地球各地の電波望遠鏡を活用した国際プロジェクトである。これは地球規模の電波望遠鏡を形成し、200人に及ぶ研究者達が綿密な計画のもとに挑んだ撮影であった。撮影対象は、地球から5500万光年の距離にある、おとめ座銀河団に属する楕円銀河M87の中心に位置する太陽質量の65億倍という巨大ブラックホールであった。私はこの撮影画像を見た時、まったく違和感がなかった。それは、頭の中で描いていたイメージと違わなかったからであろう。そこにはまさにブラックホールらしい姿があった。それはブラックホールを取り囲む放射のきらめきの中に黒々と存在していた。ブラックホール自身は見えない天体なので、実際にはその影を撮ったということになる。しかし、月から撮影した地球のものと同価値の証拠写真だと言っていいと思う。地球の写真はそのみずみずしさに感動した。これに対してブラックホールの写真は、この宇宙を支配する物理法則の存在の確かさと人智の及ばない宇宙の様相を感じさせる。これからは夜空を見上げるたびに、星々の奥底に潜むブラックホールを感じないわけにはいかない。 (記:五等星)
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