[コラム]目黒のさんま
- 2018/09/23
- 15:28
さんまがおいしい季節である。この時期恒例の目黒のさんま祭りのニュースを聞くと、落語の「目黒のさんま」に登場する殿様ならずとも、油の滴る姿、色、匂い、煙などが頭にありありと浮かび唾液が出てくる。よし、今夜は我が家もさんまを焼くぞ、と心に決めてスーパーに急ぐ。秋は魚の種類が豊富である。秋さば、いわし、さけ、たちうおなどに目移りしながら、あの細長く銀色に光る優美なさんまを発見する。そして大きさや色つやを観察しながらお気に入りの数尾を求めるのである。
さて、脳科学の進展により、我々がさんまの姿をありありと思い浮かべて無性に食べたくなる時に、我々の脳の中ではドーパミンという神経伝達物質が多く放出されているということが分かってきた。我々の脳内にはドーパミンニューロンと呼ばれるドーパミンを放出する神経細胞の集まりがあり、その受け手側の大脳の前頭連合野、偏桃体、海馬などを含めた報酬系と呼ばれる回路を形成しているという。この報酬系が働いているときにドーパミンが多く放出されて人は心地よく感じ意欲を増すという。さんまを食べたいという意欲が盛んになるのもこれである。また、報酬系は学習に対する動機付けや社会的成功や利他的行為の達成などにも関係しているといわれている。
一方、スーパーでいろいろな魚の中から、さんまをを区別して買い求める行為は、脳が行う認知機能の表れである。最近の脳科学は、この認知機能にもドーパミンが関与していることを明らかにしてきた。サルに図形を覚えさせ画面上に表示する図形への反応をみる実験などを通じて、報酬系とは異なるドーパミンニューロンによる脳回路の働きが明らかになってきている。認知・行動障害を引き起こすパーキンソン病の人の脳では、ドーパミンニューロンの変性・消失がみられるという報告があり、実験結果はこの事実も裏付けている可能性があるという。
動機付けも認知も動物が進化の過程で発達させてきたものだと考えられる。環境に適応して生き抜き、子孫を残していくために、これらの機能が発達したといえる。特に我々ホモサピエンスがアフリカを出て地球の大陸や島々に拡散していった事実は、我々の祖先の大いなる好奇心を想わせる。この好奇心を生むのに脳内の報酬系が働いてきたことだろう。さらに、人類は石器に始まり様々なものを創り出してきた。形あるものにとどまらない。音楽、美術、文学、スポーツ、テクノロジー、そしてサイエンスも脳の報酬系が生み出してきたといえるかも知れない。
ドーパミンなどの神経伝達物質が媒介するニューロンのネットワークで構成された精妙な脳という臓器が心を生み出している、という言い方に今や納得する人は多いだろう。それでも、たとえばドーパミンという化学物質の放出度合いが人の意欲を支配している、と考えると、自分の心は自分が支配しているという感覚が損なわれるような気がするのも実感である。しかし、また酒場で友人が酔っ払った姿を見たり、自分が泥酔した時のことなどを思い出すと、この精妙な脳は案外思い通りにならないと感じるのも確かである。
ドーパミン放出の多少が意欲や認知に影響するとはいえ、ドーパミン自身は神経伝達物質の一つでしかない。それでは何がドーパミンニューロンを活性化させているのか。それこそが自分の心ではないか。このような考えが起きる。私はこの問いこそ現在の脳科学で「意識」の研究が行われている理由だと考える。人の心は古今東西の文学、芸術などで数えきれないほど描かれてきた。しかし、この「心」という広大無辺の世界は、すべて描き切れるものではない。わずか1㎏超ほどの物質である脳がなぜ心を生み出すことができるのか。地道な研究が近い将来この謎を解き明かすであろう。
ところで、冒頭の「目黒のさんま」の殿様である。たまたま立ち寄った目黒の村民に分けてもらったさんまにこれほど思い焦がれる、というのは脳内でドーパミンがよく働いている証拠である。このまだ若い殿様は、これから学習に意欲を持ち、領民の暮らしぶりをよく認知して立派な政治を行い名君となるポテンシャルを持っているのではないか。夕食の皿の外へ飛び出している我が家のさんまを目の前にしてそんなことを考えた。 (記:五等星)
さて、脳科学の進展により、我々がさんまの姿をありありと思い浮かべて無性に食べたくなる時に、我々の脳の中ではドーパミンという神経伝達物質が多く放出されているということが分かってきた。我々の脳内にはドーパミンニューロンと呼ばれるドーパミンを放出する神経細胞の集まりがあり、その受け手側の大脳の前頭連合野、偏桃体、海馬などを含めた報酬系と呼ばれる回路を形成しているという。この報酬系が働いているときにドーパミンが多く放出されて人は心地よく感じ意欲を増すという。さんまを食べたいという意欲が盛んになるのもこれである。また、報酬系は学習に対する動機付けや社会的成功や利他的行為の達成などにも関係しているといわれている。
一方、スーパーでいろいろな魚の中から、さんまをを区別して買い求める行為は、脳が行う認知機能の表れである。最近の脳科学は、この認知機能にもドーパミンが関与していることを明らかにしてきた。サルに図形を覚えさせ画面上に表示する図形への反応をみる実験などを通じて、報酬系とは異なるドーパミンニューロンによる脳回路の働きが明らかになってきている。認知・行動障害を引き起こすパーキンソン病の人の脳では、ドーパミンニューロンの変性・消失がみられるという報告があり、実験結果はこの事実も裏付けている可能性があるという。
動機付けも認知も動物が進化の過程で発達させてきたものだと考えられる。環境に適応して生き抜き、子孫を残していくために、これらの機能が発達したといえる。特に我々ホモサピエンスがアフリカを出て地球の大陸や島々に拡散していった事実は、我々の祖先の大いなる好奇心を想わせる。この好奇心を生むのに脳内の報酬系が働いてきたことだろう。さらに、人類は石器に始まり様々なものを創り出してきた。形あるものにとどまらない。音楽、美術、文学、スポーツ、テクノロジー、そしてサイエンスも脳の報酬系が生み出してきたといえるかも知れない。
ドーパミンなどの神経伝達物質が媒介するニューロンのネットワークで構成された精妙な脳という臓器が心を生み出している、という言い方に今や納得する人は多いだろう。それでも、たとえばドーパミンという化学物質の放出度合いが人の意欲を支配している、と考えると、自分の心は自分が支配しているという感覚が損なわれるような気がするのも実感である。しかし、また酒場で友人が酔っ払った姿を見たり、自分が泥酔した時のことなどを思い出すと、この精妙な脳は案外思い通りにならないと感じるのも確かである。
ドーパミン放出の多少が意欲や認知に影響するとはいえ、ドーパミン自身は神経伝達物質の一つでしかない。それでは何がドーパミンニューロンを活性化させているのか。それこそが自分の心ではないか。このような考えが起きる。私はこの問いこそ現在の脳科学で「意識」の研究が行われている理由だと考える。人の心は古今東西の文学、芸術などで数えきれないほど描かれてきた。しかし、この「心」という広大無辺の世界は、すべて描き切れるものではない。わずか1㎏超ほどの物質である脳がなぜ心を生み出すことができるのか。地道な研究が近い将来この謎を解き明かすであろう。
ところで、冒頭の「目黒のさんま」の殿様である。たまたま立ち寄った目黒の村民に分けてもらったさんまにこれほど思い焦がれる、というのは脳内でドーパミンがよく働いている証拠である。このまだ若い殿様は、これから学習に意欲を持ち、領民の暮らしぶりをよく認知して立派な政治を行い名君となるポテンシャルを持っているのではないか。夕食の皿の外へ飛び出している我が家のさんまを目の前にしてそんなことを考えた。 (記:五等星)
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